尾崎の死


1992年4月25日尾崎は26歳の若さで亡くなる。
「尾崎の死因は致死量の2.64倍以上の覚醒剤服用による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫と結論付けられている。尾崎の遺体には暴行を受けたような傷やあざもあり、また亡くなった日の状況がきわめて不自然」なことから他殺説が浮上しているが、結局のところ明確な答えはわからない。
母の死後まもなく亡くなったので、自殺だと考える人もいる。
わたしとしては、彼は直接的な他殺でないにしろ、自ら「死のう」と思っていたわけではない様な気がする。
結局のところ、身近な人にも誰にも、真相は分からないままなのではないかという悲しい結論が浮かんでしまう。
ただ確かなのは、彼は苦しみながら亡くなったということだ。
勝手に体が動いて、もがき、のたうちまわって、自分の顔を床に叩きつけながら。それは何かと戦っているように見えたという。彼の最後の言葉は「…勝てるかな」だった。
そして1999年にフライデーに掲載されたという蘇生措置を施している尾崎の写真。
掲示板で偶然にも目にした。痛々しい全身痣だらけの痩せ細った姿。閉じた瞼にも大きな痣が。
これを見たら、暴行されたと噂されるのも少し納得できる。
尾崎は今も何かと戦っているのだろうか。
どうかもう体を休めて、これからはずっとあの優しい笑顔でいて欲しい。




参考までに尾崎の死因について事実を元にした考察サイト。その1〜3まであります。
http://www.est.hi-ho.ne.jp/snowman-yukio/ozaki.htm