それぞれの思惑

尾崎の死因については、不思議なサイトもあるし、根拠のない情報などが飛び交っていて、全てを鵜呑みにしてしまうのは怖いこと。わたしも最初は繁美夫人による陰謀説の可能性が高いと思っていた。
繁美夫人による他殺の計画があったとしても、それは今となっては謎のまま。永島氏の尾崎裁判も、繁美夫人に対する言いがかりのような裏づけのないものが幾つかあったという。
でも、繁美夫人には「この人なんで?」疑われてしまうような行動があるのも事実。
尾崎の最後のマネージャー大楽氏の本にこうある。

尾崎「大体あいつは俺と知り合った時、婚約者がいたんだよ、歯医者の。たまたま俺の方が金を持ってたんで俺を選んだらしいけど。この前も話したんだけど、いつか俺は空手の道場を開きたいって言ったら、あたしは空手家と結婚したんじゃない。アーティストの尾崎豊と結婚したんだって言われちゃって、何も言えなかったけど。…要するに金と、俺が歌手で派手にやってるからくっついてるんだって言ったんだ。」

「アーティストの尾崎豊」の妻であると自覚があるなら、なぜ尾崎の葬儀で「マスコミの前に一切出ないようにして」なんてことが言えたのだろう。マスコミ嫌いであっても、喪主として、失礼のないようにきちんと挨拶はするべきであったと思う。
わたしは正直なところ、繁美夫人に対してあまり好意を持っていないので、不満点を言い出したらキリがないけど、これだけは許せないと思ったことがある。
それは、尾崎が生前に最も憎んでいた音楽事務所MのF社長と尾崎の死後に仕事をすると言い出したこと。尾崎が「殺しても許せないやつ」と言っていた人物とまた仕事をする。そしてFを家に上がらせ尾崎の遺骨を見せるというのだ。
自分の奇妙な友人に洗脳され、言いなりとなっていたのかもしれないけど、これだけはどんな言い訳をしても許せることではない。尾崎に対してのひどすぎる裏切りだから。
尾崎がそれ程までに憎んだFとは、20歳の尾崎をニューヨークに行かせた人物。
よく尾崎のプロフィールの1985年の欄に「無期限の活動停止。単身渡米。」とある。わたしは尾崎が自らの意思でそうしたものだと思っていたが、そうではなかった。
当初、事務所側は尾崎の渡米について「音楽の勉強、研修です」と尾崎一家に説明してようだ。でもその研修費用は、なぜか尾崎の自己負担になると後から発覚。
尾崎は約1年NYで過ごしたが、一時帰国した際に、尾崎の言動に異常があったという。この時、覚せい剤を常用しているのでは…と一家は不安になり、「早く豊を日本に帰して欲しい」と事務所に再三頼んでもFは応じなかった。


その理由は、兄・康氏の本にこうある。

M側の狙いは、豊を、親も、S側も、接触するのが困難な状況におくことにあった。豊を隔離し、マネージャーに監視させ、事実上、豊を事務所側の掌中におくことによって、有利にことを進めようとしていた。


その頃の音楽事務所Mは、レコードの販売をレコード会社のSに委託していたが、M自らがレコード会社を設立し、そこでレコードの制作・販売をすれば、純益をまるまる手にすることが出来るというわけだ。
でも、どのレコード会社に所属するかはアーティストが決定権を持つ。そこで尾崎をなるべく自分の管理下に置こうと、急な「研修」として渡米させたということだ。



帰国後、それまでとは変わってしまった尾崎に家族は麻薬の常用を確信。このままではどうにもならないと、いち早く現物を見つけ警察に通報しようということになる。
そしてついに

1987年12月22日早朝。豊が長時間トイレにこもっているのに父が気付き、豊が出た直後、トイレに入ってみると、パッケージが流されずに浮かんでいた。中には少量の粉末が残っていた。
父は定年退職後再就職していた会社にいつもどおり出勤し、そこの電話で警察に通報した。その後、勤め先にいる僕に電話で知らせた。警察はただちに実家に踏み込み、豊を逮捕した。豊はまったく素直に捕らえられた。

NYでの「研修」で、彼はボロボロになって帰ってきた。
事の詳細は分からないが、恐らくMの関係者だろうと思われるSが、麻薬の服用に関わっていたのではと言われている。
Mはそれで満足だったのだろうか。結果的に、尾崎をステージ上で這いつくばらせることになっても。